親はちょうど今、実家の私の荷物を片付け、「これ捨てていい?」、「これどうする?」と聞いたところに、この記事を発見しました。
1999年10月7日にツァイト新聞に掲載された新聞記事、『抑えられた連鎖反応』。12年以上も前のことなのに、今でも興味深いような気がしますので、翻訳しました。
記事の中に引用される日本の方は申し訳ございませんが、もともと日本語(又は英語かドイツ語?)の引用は私の手によって日本語に逆訳されました。原文を知らないままの翻訳ですから、原文がわかる方、是非ご連絡ください。
1999年10月7日
抑えられた連鎖反応
原発事故後には日本で脱原発の議論がない理由について
「雑な仕事はロシア人だけすることじゃない。」と加藤周一が言う。チェルノブイリが起こってから、日本のように規律に服させ、高度に発展した国にはこういったことが起こらないと日本人は自分に言わせていたとエッセイスト兼社会批判家の加藤氏が語る。東海村の事故はその神話を「青い閃光」で吹き払った。一週間後も立ち直っていないショックは、日本人の自己理解の土台を阪神•淡路大震災ほど強い揺れで揺らしている。「ノースリッジ地震後にも、日本の橋は違うと日本の官僚が主張していた。」と加藤氏が語る。阪神高速道路神戸線がどうすることもできない倒れたムカデのようになっていたら、日本人の技術への絶対信頼が深く揺らがせた。東海村の事故は「同じ傷口に塩を付ける」ように日本人をさらに痛めつける。「日本人だって雑な仕事はする」と加藤氏は簡潔に言う。
ウラン工場の担当業者のいい加減な仕事はハイテク国日本で世間の人々をあきれさせる。物事を説明された時に、小淵首相は「信じられない!」と叫んだそうです。その反応は典型的である。「これは手作業だったことは人は怒る。」と東京の原子力資料情報室の伴英幸氏が語る。 それも最近起こったことがあった。7月に敦賀の原子炉での危ない漏れがあった時に、労働者は防護服で四つんばいになって、放射能水の冷却水を手で拭き取った。東海村の事故後に日本政府の広報担当者は「近代国家として恥ずかしい」事故と言っていた。
しかし、日本政府ははやくも事故を「幼稚なミス」として、けして日本国の原子力使用に疑問を投げかけることなく、現場の労働者になすりつけようとしていたところ、政府自体は砲火をあびせた。原子連鎖反応後の数時間の頼れない無力、住民への遅すぎる警告、東海村での安全対策の不足をみて、日本経済新聞は日本を危機管理の面で「いまだに発展登場国」であるという結論を導き出された。
原子力批判者は日本のメディアで言いたいことがいえない
日本のメディアでの批判派はいくら辛辣であっても、主にディテールに集中している。担当業者は過失と糾弾される。日本政府は監督の義務を怠ったことで糾弾される。しかし、原子力自体、原子力は抑制できるかどうか、原子力は文明にふさわしいかどうか、誰一人のコメンテーターも問いません。
色々な意味で、東海村から140kmも離れている東京よりもドイツでは激しい議論起こしました。「脱原発」という言葉は、日本の新聞の報道でたった一回出ました。それはドイツ環境大臣ユルゲン•トリッティンを引用されたときでした。日本では脱原発が論じられていません。それはチェルノブイリと、東海村の被爆された労働者でも変わりません。
日本は異文化であるというこの事故の反応の原因ではありません。技術夢中の日本でも、原子力の存在的な恐怖はたくさんあります。東海村語の調査で国民の七割は原子力は心配していると答えました。原子力は論じられていないのは日本のメディアの読者•視聴者に適切な情報を与えない、無能であることが理由です。「日本の新聞とテレビは人の意見を反映しません。」と社会批判か加藤が説明する。
小出裕章氏京都大学の原子力安全専門家も同じ経験をした。チェルノブイリ語に関西テレビでの生中継に誘われた。「事前打ち合わせに、『日本では同じタイプの原子力発電所が稼動されているとはもっと重要なテーマだ』と言っていたら、プロデューサにそれを番組で言うように禁じられた。番組の最も大きなスポンサーは関西電力であると言われました。」
原子力反対派の伴英幸氏もメディアの経験をしました。東海村事故後にはTBS局の生中継の番組で脱原発の議論をしたかったといっています。「事前打ち合わせでは、電力会社は放送局の一番大切な広告のお客様であるから、それは言い過ぎと言われました。フジテレビではいえたけど、その部分はカットされました。」と伴氏が語る。
ドイツの環境大臣がすぐに口にした「ヒロシマ」と「ナガサキ」という言葉は日本の議論で不気味なほど不在です。よりよって、あの日本では「核エネルギーの平和利用」と核兵器を連想する人はいないようです。数十年にわたって、ヒロシマとナガサキは平和政策のコンテクストのみで述べられた習慣がその理由であると日本の知識人がみています。日本の戦争責任等という原爆特の歴史的理由も、隔壁の生産に原子炉が必要ということと同様に抑圧された。「ヒロシマとナガサキの原爆は突然空から落ちたように日本人信じさせました。空想の現象みたい。ただ、東海村は現実の現象であって、それにけして結びつかれることはない」とカトウシュウイチ氏が語る
すこぶる奇妙なことに、原爆の経験があって、日本人は原子力の味方になりました。「学生の時には、この巨大なエネルギーを平和な利用、国の成長のために使わないといけないという論拠に納得していました。」と原子炉専門家の小出裕章氏。今は原子力はけして安全に扱うものではないと信じています。今は京都の試験場にたって、東海村周辺の土壌のサンプルを解析しています。「放射能汚染の日本政府の値は間違っていて、些細なことのように見せかけていることを実証したい」と小出氏。彼の調査は日本のメディアには話題になっていません。