町の象徴である市庁舎は灰色の空にそびえています。三車線の道路には車一台もなく、普段大勢の人でにぎわっていた市庁舎前の広場は人っ子一人もいなく、真夜中の墓地よりも不気味な静けさに覆われています。聞こえるのは線量計のもっと不気味なダッダッダだけです。
ここは計画的避難区域指定のハンブルク市でございます。
このハンブルグは、2011年1月18日、震災の二ヶ月前に、ドイツのテレビ局で放送されたテレビドラマに出ます。もちろんフィクションです。
「これ、きっとお姉さんがみたら面白い。ブログで書けば?」と弟に「Restrisiko (残存リスク)」のDVDをもらいました。
話はとても簡単。ハンブルク近郊にある30年前に建てられた原発で臨界事故が起こります。
仕事大好きのウェルネッケさんはハンブルク近郊にある「オルデンビュッテル原発」の安全担当者である。
(もちろんその名の原発は実存ではありませんが、いかにもドイツ北部らしい名前です。実際にエルベ川沿いの原発はKrümmel(クリュンメル)およびBrunsbüttel(ブリュンスブッテル)と言っています。
オルデンビュッテルは初代の、古い原発です。そろそろ廃炉になる時期ですけど、稼動停止にならないようにヴェルネケさんががんばっています。彼女は原子力発電所は有意義であって、安全であると心から信じています。
正門の前の原発反対デモは野菜を嫌がる子供を目に前にする母親のように見ています。
しかしさほど平和な世界ではありません。
元旦那と稼動延長の件で喧嘩が再発、「原発のすぐ隣に夏休み過ごしたくねえよ。原発反対!」と中学生の息子にも嫌われて、上司とも小さな事故は隠すべきかどうかと喧嘩しています。(左の写真の、息子の「原発反対!」のシャツをご覧ください…)
そこで!事故が起こります。
ヴェルネケさんら最初、煙が出たことを隠し、次に大先輩の助言を馬耳東風と聞き流しています。
そして、臨界事故が···
大先輩が妙な自動車事故で亡くなる。恩師の資料をみると、原子力ムラの圧力、賄賂!政治のごまかしで稼動が決まった!と証明する図書をヴェルネッケさんが発見。心が静まって、彼女は安全担当者としての起こした誤りを償いたい。
建設時から辻褄を合わせるために改竄された図書を入手し、元雇用者のぞんざいで雑な仕事を実証するため、ヴェルネケさんは一人で避難区域に入っています。
というのはストーリーラインです。
映画の設定で、原発は40年前も建てられた原発ですから、事故当時に幸いにフルに稼動された事なく、最大に可能と考えられるような事故までは至りませんでした。
しかし、いくらフィクションであっても、政治家の反応は現実に近いと感じます。
あきらかに賄賂と政治のごまかしが原因なのに、再稼動が可能になるため、所長はみずから事故の責任を取ります。自分は責任を取れば、調査委員会の前で「人間のミスです。原発は安全です。」と言えますでしょう?
ヴェルネッケさんは当然担当者として調査員会の前で証言しないといけないけれども、いくら「絶対に稼動再開はしていけない!」と主張しても、エビデンスがないため調査委員会に無視されます。
調査委員会は平然と「事故の原因がヒューマン·エラーだから大丈夫」と決め、ドイツに残っている残りの原発は、いくら古くても稼動を再開されます。
民法に放送されたことは最初信じませんでした。このテレビ局は普段、夜の20時15分台に放送されるものはぬくぬくとしているドラマであって、放送日の新聞の文芸欄でも「さて、そういう野心かつ批判的なテレビドラマはやがて視聴者に受け入れられるでしょうか。」という事は一番大きな心配事だったようです。この時間帯の視聴者には考えなくて良いエンターテイメントを求めているでしょう。
少し前各州のメディア監視機関に「不充分のニュース及び情報番組」のゆえに、制裁を受けた同じSat1テレビ局が、あのデリケートな話題のテレビドラマを作成して、曖昧のではなく、明確に立場しています。
もちろん、電力会社もそのテレビ局に広告は出しています。テレビドラマ部長は放送後に、ドラマは(2011年1月当時の)ドイツ政府の原子力政策に対しての批判ではないと主張しているものの、「この映画は初代の原発の起こり得る問題について明確な態度を取っていると思います。現実にしてほしくないシナリオを描いています。」とも言っています。
主役の人気女優フォルカーツさんはきっぱりと、「(この映画は)最悪の場合に何が起こるかを見せています。今稼動の延長が政治家に論じられても、こういう事が実際に起こりうるのは誰一人も口にしないでしょう?事故は絶対な起こって欲しくありません。起こる前に私たちは考え直さないといけません。」と主張しています。
原発の所長を演じるヴィージンガーさんも
「無味乾燥だもん。出世したくて、首になりたくない人・・・電力業界の人も人間だもの。ただ、自分のことばかりを考えて、公益を考えない事も事故への導く可能性はあります。今回の演じ方は現·理論と関係ありません。『原発どうすんの?』とはとてもとても答えにくい質問ですよね。
もちろん、俺は原発の反対派ですけど、『戦争がない世界が良い』と言うのと同じようなもん··· そこまでの道程は長くて険しい道が待っています。」
と言っています。
演出で気に入ったことはまず、臨界事故が起こった実態、その壊れた建物は一度も映像になっていなく、全て視聴者の想像力に任されています。
まあ、フクシマ後はとても想像しやすいですけど。
それから、ヒーロインは臨界事故が起ることを一生懸命ふさごうとしていることもありません。事故がすでに起こって、ヒーロインは政治のごまかし、電力業界の賄賂を暴露する目的で動いています。テレマドラマにありがちの善悪の役割はありません。
最初に「安全だ!安全だ!」と主張する安全担当が自分の誤りに気づいて反省していることと、すれっからしのPRマンも最初広告を考え出して、後ほど反対派に移ります。
自分の立場だけを見ている原子力業界、批判を「誤解されている。」、「中傷誹謗だよ」と主張している原子力業界の描写、孫、曾孫請け会社でリスクを軽減する下請け業者の描写もとても興味深いです。
原発は創造することができても、実体想像することは出来ません。10万年後にもまた放射能で危ないごみなんて、誰も想像できないでしょう?
映画は少なくとも想像力を刺激することは出来ます。
お買い上げになりたい方はドイツのアマゾンまで。ドイツ語の字幕なしのDVDですが・・・
日本とドイツとの決定的な違いは、こうしたテレビ番組がく作れるか作れないかです。日本では、局内のドラマ班がこうした企画を思いつくことすらありません。テレビは原発推進のためにあるのであり、「♪ユメノエネルギー ゲンバツ~」と讃美することしか許されないのです。福島原発がドカーンと爆発してからも何ら変わることはありません。
ここからがお願いです。
1.このドラマが放映に至るまでのいきさつを教えてください。
2.ドイツのテレビや新聞の独立性は、どうして保たれているのか教えてください。
3.放映後の視聴者の反響はどうだったのか、教えてください。
4.日本でドラマが現実のものとなった後の、このドラマの評価に変化はあったのかどうか教えてください。
逆に、日本のテレビ局の成り立ちを映像に収めたNHKのドキュメンタリーをドイツで放映して欲しいですね。テレビ=洗脳の神器である(現在形)ことが理解していただけると思います。
投稿情報: asariya38 | 2012/02/07 10:19