この「 ドイツとビールとノーニュークス」シリーズは主に、2012年行って、紹介しましたけど、一つのインタビューがずっと残っていました。本人は日本語が読めるため、文章は確認したいと言われて、ずっと確認してもらわなかった。本当に面白すぎるから、今紹介します。2013年の春に行ったインタビューです。
簡単な履歴:
三十代 (男性、会社員)、育った町、大学の町、卒業した町々、皆バラバラであっちこっちに住んだことがあります。地元の村は誰もわかりませんので、いつも「ベルリン出身」と言っています。(最後に住んでいた町なので・・・)
まあ、とにかく、ドイツの原発の隣町ですよ。 【本人は教えてくれませんでした。地図のマークのどこかの隣町】
僕はほぼ30年前にドイツの田舎の村に生まれました。父は生まれる前から地元の原発で働いて、近所の方も親戚もみな原発で働いていた。
中学生になったごろには母に「パパは原発で働いている事は人に言わないでね」と言われました。その理由は「原発反対の先生が多くいらっしゃるので、成績がさがる可能性もあるでしょう。」だと説明されました。
ドイツの授業、例えば、物理学の授業では放射能の危険性とかいろいろ勉強しますし、社会ではチェルノ ブイリの事を勉強して、ドイツ語の授業では「最後の子どもたち」(Die letzten Kinder von Schewenborn)を読んでいますからね。
確かに学校で僕の周りにそういうパパのいる子はいませんでしたけど、ママの命令(アドバイス?)は無視して、パパの職は自由に話しても何もありませんでした。
大きくなるにつれて、当然学校でも原子力のことは話しますけど、僕も知識が豊富になり、よくパパと喧嘩したものです。原発自体の安全神話とは別として、10万年も安全でないごみを生み出しているんですからね。
パパの反論は「原発じゃなければ、何が確実に電力を提供する。原発しかない。」と二人でずっとぐるぐる回っていました。
もう今パパは退職しましたけれども、まだ意見は一致していませんね。まあ、当然ですけどね。
今は実家の近くに大きなウィンドパークができるところですけど、パパは「風力、お断り」と反対でさえしていました。笑うでしょう。あの有名な「原発お断り」を風力にかえて、窓に貼ったんです・・・
全然違う物なのに!
家族の何人かはまだ原子力関連の仕事をしていますね。従兄弟とか叔父とかね。
私はフクシマがあった日本に住んでいて、ママは「うちの男たちは皆放射能にさらされているね。」とため息つきながら言っていました。
そういう背景があって、僕も食べ物は注意して選んでいます。魚や根菜は全く食べていません。