これは、三遊亭兼好師匠のドイツ公演について、最後のエントリーです。長くなって、申し訳ありません!あと一つ、young germanyで記事が出ると思いますよ。
今日は帰国して一カ月、震災から5カ月、それから今日は三遊亭圓朝の命日でもありますね・・・
いや、すべての公演のアンケート(合計700人分?)を集計して、コメントを翻訳して、ブログの記事を書いて、四週間はかかりましたね。同時にながあい報告書も書きましたけど、いくら書いてもおそらく伝わらないのは、本当に、楽しかったこと。その楽しさは、なかなか言葉で表せませんので、是非とも、師匠の高座を聞いて下さいね。
デュッセルドルフのホテルニッコーで開かれた日本人向けの公演をみるため、友達のYさんが五時間も電車に乗って、キールからかけつけてきました。リトル東京で日本米と、日本語の本を買って、それから落語会へ!なんという素敵な週末!(海外に住んだことのある人しか分からないかもしれない楽しさ・・・)
打ち上げも二次会が終わって、女子二人で私の部屋で三次会をしていたら、兼好師匠の二つ目時代の名前は好二郎だと分かって、Yさんがとても驚いていました。
「ホントウ!好二郎?!うそ!前から聞きたかったよ・・・ なんだか声は知っていると思っていた・・・!昔、ニフティ寄席でよ~く聞いて、いつか聞こうと思っていましたよ。だからか!」
この10日間のオーストリア・ドイツ公演の間、ニフティ寄席で師匠を聴いて、好きになった方はどれぐらいいたのか数えていないんですけど、かなりいました。ニフティ寄席がなかったら、このドイツ公演もなかったと思います。
正直、もともとニフティ寄席がなかったら、ウィーンの友達が落語を好きにならなかったでしょう。ウィーンの友達が落語を好きにならなかったら、私に紹介することもなかっ たでしょう。私に紹介することもなかったら、私は「なんで、アイツに落語が解るのに、私には解らないのか!」と悔しがっていなかったでしょう。私が悔しがっていなかった ら、落語を好きにならなかったでしょうし、兼好師匠をドイツに連れて行く事もなかったでしょうね。何があるのかわからないんですね。きっと師匠もはじめて ニフティ寄席に出た時、こんなことにつながるとは夢にも思いませんでした。
まあ、そういえば、私が12年前に日本に留学した前に、
「留学中に作る友達に紹介された人がきっけけで、貴女は落語にはまって、落語家をドイツに連れて、そこで公演を開きますよ。」
なんて言われたら、信じなかったんですね。
しかし、とても貴重な経験をさせて頂いて、有難う御座いました。兼好師匠をはじめ、各公演の席亭さん、国際交流基金、カミーナ先生、ひろ木さん、それから来ていただきましたお客様、本当にありがとうございました。
これからどんな挑戦が待っているのか解りませんけれども、楽しみにしています。
次の挑戦は何にしましょうか。ご提案を受け付けます♪