先日、ドイツにある、世界一安全な原子力発電所 を紹介しました。
実は、オーストリアのツェンテンドルフ村 にも世界一安全な原子力発電所がありました。(世界に一つ以上ありましたね!) その名は「Kernkraftwerk Zwentendorf 」です。なぜ世界一安全かというと、それは、カルカー原発と同じく、一度も稼働された事がないからです。
日本での最初の原子力発電が行われたのは1963年でした。その15年後に、オーストリアで原子力発電所の運転に関する国民投票が行われ、投票者の50.47%(約30000票の差)は運転開始に反対しました。当時の首相は「原発が反対される場合に辞任する」という発言はその投票結果も左右されたと言われています。
例えば、
「原子力に特に反対はしていなかった両親は首相を嫌っていたから、原発反対と投票していました。原子力反対運動に参加していた伯父は政権交代を阻止するために賛成していました。」とEVN社のツァッハ氏が思い出す。「もちろん、今、そんな過去を伯父さんに聞いたら怒られる」
と現時点の運営会社Energie Versorgung Niederösterreich 社のツァッハさんが語ります 。 結局、首相は結局辞任せず、翌年の国民議会選挙で圧勝しましたけれども、国民投票の 結果として、1978年にオーストリアにAtomsperrgesetz法(国民投票無しに原子力発電所を建ってはいけない法律) が出来ました。1999年にその法律はが「核のないオーストリアの連邦憲法的法律」(Bundesverfassungsgesetz für ein atomfreies Österreich )が出来ました。 しかし、その国民投票が行われる時点ではにはすでに、ツェンテンドルフ村に運転開始許可を待っていた沸騰水型原子炉 のある原子力発電所が待っていました。その原子力発電所は1972年4月に着工されて、1978年11月には燃料棒が配達されました。投資総額は当時5億2千万シリング(本日為替レートで405億円)でした。 ツェンテンドルフ村という田舎に引っ越す覚悟で、200人もの技術者は何年間に渡ってドイツ、スイスとアメリカで研修・教育を受けていました。何戸もの社宅が建てられて、その名も、皮肉なことに「オット・ハーン 」だった。
その研修費だけは10億ユーロになっていました。しかし、国民投票によって、原子力発電所は一度も稼働されず、200人はオーストリア国内の原子力発電所で仕事に就く事も出来ませんでした。
このように、ツェンテンドルフ原子力発電所はオーストリア史上最大投資失敗になりました。
沸騰水型原子炉のある原子力発電所は723MWの総発生電力量で計画され、 1985年3月に整理解散が決められる前、140億シリングもかかり、そのうちの6億シリングだけはメンテナンスにかかりました。
同じ1985年の12月上旬には原子力発電所の所長だったはずシュタウディングアーさんが自宅で首つり自 殺 と発見されました。一度も稼働されなかった事は耐えられなくて、人生に区切りをつけました。
後に緑の党で活躍するマイスナー=ブラウ さんが思い出す(2011年6月の記事を参照 )
「中世後期にここにひどい地震 があって、日本で起こった同じことが起こりうると警告した。その事情は当時に政治家一人も関心持ってくれなかったけれども、自分の議席が危ないと思って、国民投票になっただけですよ。」
敷地内にはドイツのカルカー原発と違って、遊園地は建てられていません。あの有名なフリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー は「失敗した技術の博物館」を作ると提案しました。そうなならなかったですけど、きっと面白い博物館になれたのに・・・ 美術品、工芸品の倉庫の提案、ガス火力発電所、VIP ディスコ等々と色々な提案がありました。
2005年は一度も運転したことのない原子力発電所は250万ユーロでEVN社に購入されました。なぜ、あっちこっ ちに色々な発電所を経営・運営している会社が元原発の敷地を購入するかというと、ノスタルジーではありません。敷地はすでに「発電所用」と指定されて、手間のかかる、費用の高い許可手続きはしなくてすみますので、簡単に別の発電所が建てられます。
同様に、着工はされなかったケルンテン地方の原発の計画はありましたけれども、その土地はいまだに、「発電所区域」として指定 されています。
10ヘクタールもの敷地はウィーン大学のキャンパスと同じ面積です。敷地内に12007万ユーロもの太陽光発電パネルを設置し、2009年6月に使用開始しました。千枚にも及ぶパネルは年間に十八万kWhの電力を提供します。それから、2010年には 科大学太陽光発電研究所ツウェンテンドルフ が設立されました。その設立とともに、190kWhの太陽光発電所も設立されました。 沸騰水型原子炉は同型ドイツのイーザ第一 、ブルンスビュッテル 及びフィリップスブルク第一 の原子力発電所の交換部品を提供し、ドイツエッセン市にあるKraftwerksschule 校(発電所の従業員の専門学校)の研修施設として使われています。クレーンで原子炉圧力容器のふたや格納容器のふたを運びますけど、何十トンもするふたは放射能物がない施設で練習した方がいいのは誰でも納得します。それは、このツェンテンドルフでできます。それから放射能の濃度が高すぎて普通はいけない場所に、ツェンテンドルフなら行けます。
1972年に着工されて、一度も稼働されてない原発は2010年にはじめて見学も可能になりました。
当然、震災後には、見学者が急増しました。その一つの理由はここのツェンテンドルフ原子力発電所は福島第一原子力発電所と同型ですから。見学をすると、普段見学できない場所の見学が出来ます。原子炉圧力容器のある部屋に入れて、燃料棒があるはずだった場所が見えます。
ここに働く予定だった200人はどうなったかというと、全く違う分野の仕事に就いた人もいれば、海外の原子力発電所で仕事をした人もいました。それから自分のキャリアがふさがれていたことをみて、原発反対運動に携わったこともいます。
写真で、中央制御質を見ると、パネルはどうしても、60-70年代のSF映画に使われていたものにみえます。あっちこっちにかわいい電球があって、スクリーンが少ない。確かに、ここにはサスペンスドラマも撮影されたことがあります。
その他には、同敷地は下記の通りに使われました。
※ 2001には管理棟に警察学校がありました。 ※ 敷地は何回か防災訓練に使われました。 ※ 2002年にはツウェンテンドルフ中学校にも使われ、2009年の夏休みからは小学校も(本校は改造されるため)入っています。 ※ ドナウ川にはハリネズミの保護地区 ができました ※ 2009年には敷地内にSave the World Awardsの受賞式典 が開催されました。 ※ 1999-2002年にはニューク音楽祭が開催 ※ 2010年の秋に、Restrisiko というテレビドラマが撮影され、2011年1月18日にSat.1局で放送されました。(下の動画はそのmaking of。DVDも購入 できます。)
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オーストリア人の意識では電力は原発で作られていないかもしれませんが、事実上はこの記事によると 、オーストリアで消費されている電力の6%はチェコやドイツの原発で着くわれています。
原発が見たくても、オーストリアに行けるお金がない方、是非、ネットのバーチャルツアー にご参加下さい。飛行機に乗らなくて済むので、もっと安全ですよ♪
管理人の話によると、一番危ない場所は、ドアです。なぜなら、そのドアについているグラフィットが洋服に着くと、シミはなかなか抜けません。それでも行ってみたい方は是非!
Clara Kreft on Twitter Counter.com