フォルクワーゲンのエムデン工場には9000人が働いて、会社がフリースラント地方(ドイツ側)で三番目に従業員が多い会社になっています。(風車製造業者のエネルコンと、造船所のマイヤ・ヴェルフトだけがもっと大きい)。
フォルクスワーゲンエムデン工場の従業員は工場に誇りを持って、職に誇りを持って、フォルクスワーゲンというブランドに誇りを持っています。
そして、従業員が他に誇りを持っている事は、2008年に出来ましたソーラプラントです。その薄膜太陽電池モジュールは1250基も設置されています。工場(Werkhalle)の面積は6500平方メートルもあって、屋上もかなり広いです。合計43ヘクタールの敷地面積で、他の建物も屋上が大きくて、他のプロジェクトは実現できそうです。
エムデンは北ドイツにあって、わかると思いますが、日照時間は多くありません。エムデンではたった1512時間です。(日本でもっとも日照時間が短い秋田県(1526時間)よりも少ないです。想像できますね。)
この太陽光設備はしかし、フォルクスワーゲンのものではなく、従業員の協同組合(Genossenschaft)が持っている設備です。ドイツの大手企業は組合が強く、この工場では従業員の98%が組合のメンバーです。ドイツの大きな企業は皆、経営協議会(Betriebsrat)があって、組合の代表者が出て、会社の経営についても突っ込めます。
太陽光モジュールのアイディアは組合長レフレ(Refle)が持っていました。すでに1992年に再エネを促進するように言って、自分でも市民ウィンドパークの投資家、それから風力連邦連合会のメンバーとして、実践的且つ理論的な経験及び知識を培ってきました。その知識と経験はエネルギー経堂組合に使えました。
2012年は国連の「国際協同組合年」こともあって、ドイツではここ数年絵寝る儀関連の組合は急増しました。(どれぐらい、このグラフで分かります。ここ数年に四倍以上。フクシマ元年に始まったことではない。) エネルギー協同組合では、一般市民は再エネに投資したくてお金を出しています。
しかし、工場の屋上のソーラープラントはそう簡単に実現できませんでした。柱となったのは組合長が説明します。
「90年代当初には経営協議会で従業員が敷地内の風車に出資すると提案した時はまだ、機は熟していなかったですよ。そのアイディアが合って、エムデン市設備局と協力する事になった。」
従業員が発電施設に投資するまでは10年以上かかりました。そしてフォルクスワーゲンの従業員はエネルギー協同組合を作った、ドイツで最初の会社でした。
工場の役員はプロジェクトに賛成してから、組合長は従業員にモデルを紹介しました。フォルクスワーゲンは組合員に屋上をたった1ユーロで貸し出した事は大きかったでしょう。
エネルギー協同組合は219人の従業員でなりたっています。出資額は200から10,000ユーロ(最高出資可能金額)まで様々です。おばあちゃんからもらった相続財産を全て投資した10代の見習いの男性従業員。自分の2歳の子供の名前で投資した女性従業員。そして、当然、役員も投資しました。
最初の一年には出資金額の5%だけが約束されて、その後も利回りは5%です。
多くの会社の工場は屋根が平らであって、太陽光パネルをおいてもおかしくありません。そして、工場があるから、エネルギーは決して無駄になりません。そのエネルギーを使ってくれる買取手
は必ずいます。
フォルクスワーゲンはこのプロジェクトに賛成した理由はたくさんあります。工場の隣にはエムデン市営の風力はすでにあったことも大きかったでしょうけど、このプロジェクトがあって、従業員が社会参加する事は再生可能エネルギーを促進する事を表しています。企業社会責任から見ても、絶対悪いことにはなりません。皆が共同で運営する発電所で、工場をより強く誇りに思って、従業員の連帯感はより強くなっています。
エネルギー協同組合の組合員になる従業員は自動的に事業家になって、事業家のみになって物事の見方も分かって、会社の経営陣の決定もよりよく理解できるようになります。
そして、参加する従業員はいろいろな部署から来ていて、社内のコミュニケーションも強めています。要するには、工場も従業員もこの太陽光モジュールがあって得をします。
経営陣はエネルギー協同組合を気に入って、別の工場や事業所でも似たような組織を促進しています。そしてその電力も使いたいと思っています。パサート一台が作り上げられるのに、1000kWhが必要ですもの。
次のプロジェクトはフォルクスワーゲン前者の社員は投資できるそうで、どうなるのか楽しみです。エムデン市はドイツの自治体の中でもっともはやく地産地消する事が出来て、将来が楽しみです。今年はフォルクスワーゲンゴルフのEVも出ています。いずれか太陽光発電の電力で作られたEVがゴルフが工場を出て、外の風車を通る日が来るでしょうか。