5年生から日本語の授業があるベルリンの学校に誘われました。
打ち合わせが多いので残念ながら一時間目しかあいていないとのことでしたので、6時におきて、郊外に向かいます。 本来ならば二時間目からの授業にもかかわらず、6年生もわざわざはやく学校に話を聞きにきました。起立をして、明るいGuten Morgenを叫んでから、明るい「おはようございます。」が続きます。
先生はまず、「この二人について個人的な質問してください」と生徒にいうのにもかかわらず、地震のことばかり質問をされます。先生が何度か注意してから、ようやく、
「結婚されていますか。子供はいますか。」
「どうしてドイツ語が話せますか。」
「好きな食べ物は何ですか。」
「日本に買って持っていくものはなんですか。」
「お仕事は何ですか。」
「日本のどこから来ましたか」
「していません、母国語だから、ドイツでライ麦のパン、日本でお寿司、ろうそくと電池、通訳、東京」と答えます。それに、イグチさんは「していません、大学で勉強したから、ドイツでプレッツェルで、日本で納豆,ろうそくと電池・・・」と答えます。
「何歳ですか。」
と聞かれると、私は
「実は、今日は、イグチさんの誕生日ですよ。」
と答えると、生徒たちがその場で立って、「ハッピー・バースデー」を歌ってくれます。海外ではあるけれども、とてもいい誕生日になった♪
地震の話をするために、訪問してきましたので、非常時持出袋を出して、生徒に
「これは何だと思いますか。」
と聞きます。
「日本のランドセル!」、「非常時に使うリュック?」
と答えは様々ですけれども、
「これは日本のどの家庭にもあるリュックです。玄関においてあって、その中に色々なものが入っていますよ。」
物を一つずつ出して、説明すると、生徒たちの心配そうで、真剣な眼差しを全身で感じます。
説明が終わってからの生徒の質問:
「防災バックはどこで買えますか。」
「人生で地震は何回体験しましたか。」
「今は被災地は雨と雪が降っていますけど、防災バックは防水ですか。」
「学校で皆防災バックを持っていますか?」
「地震はどういう感じですか。」
「防災訓練は幼稚園と大学もやりますか。」
「津波が来たときはどういう感じですか。」
「防災バックに缶切りはない見たいですが、缶詰はどうやって開けますか?」
「お米はどうやって炊くのですか?水とか、釜に火は必要でしょう?」
「地震は必ずひどいですか。」
「日本に帰って怖くないんですか。地震、津波、火山、台風・・・それに放射能!」
と、自分でもなかなか答えられない質問が耐えません。
日本語を勉強している子供たちなので、学校で一週間も募金活動をして、ドイツテレビ(ARD)にも取材されました。その一週間が私たちの訪問の今日で終わります。
「5年生の皆さんもプレートは何なのかわかりますか。」
と先生が念のために確認しますが、子供たちが「もちろん」と真剣にうなずくだけ。大震災が起こったのは金曜日で、その週末のテレビで、10歳、11歳の子供たちは聞きなれない単語を何度も浴びさせられました。
「ツナミ」、「炉心溶融」、「運転期間延長」など。
ただ、むごい映像をみたからといって怖がるのではなく、生徒たちはより深く知りたがっているのだということを生徒たちから感じました。
私がドイツで訪ねた本屋さんでは、日本のガイドブック、日本語教科書、それから子供用の地震・原子力・代替エネルギーに関する専門書、原発事故を語るは青年小説Die Wolkeは全て売り切れでした。両親も子供の知識欲に答えられないので、すぐに本屋で買ったのでしょうけれどね。
学校訪問の一時間では原発・放射能の話は一度だけ出て、何より地震の怖さ、被災地の救済、状況把握を重視していることを感じました。一時間が終わって、職員室に戻りますと、何人かの生徒がドアの前に立って、
「先生、僕の小遣いを二人の義援金に・・・」
とまで言ってくれて、大変感動しました。
子供たちは5年生から日本語の勉強をしているということで、中学校の修学旅行は毎年日本まで行きます。その修学旅行のとき(4年後)には今日の生徒の皆さんが日本語ぺらぺらになっていて、復興した日本で温かくお迎えましょうね。日本語の勉強はがんばってね。私たちは日本の復興もがんばりますから。
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