いや、これは少しいい話で、新聞に載らないでしょうから、皆に話したいと思います。
キューピーは日本のキャラクターとずっと思ってきた方は多いと思います。(私もそうです。)
そうではありませんよ。(少なくとも誕生した当時ですね。)
キューピーは1909年にアメリカ人ローズオニールという女性が創ったものです。そして、それは大変流行って、世界では初めてのキャラクターと言われています。二次元にあまりにもはやりすぎて、「人形を作ったらどうだ?」と提案されたオニールはそのアイディアを受けて、ドイツに行きました。当時は、おもちゃと言えば、やはりドイツでした。しかし、そのドイツで作られてきた原型は、オニールさんのイメージとあまりにもあっていなかったため、彼女は自らドイツに足を運び、人形職人を指導しました。それはテューリンゲン週にある街のオールドルフです。
1913年のクリスマスは、キューピー人形がアメリカでもっとも人気のあったクリスマスプレゼントだったそうです。しかし、そこで第一次世界大戦がはじまり、アメリカとドイツは敵国になって、キューピーが忘れられました。
ご存知の通り、キューピーが人では、今でも大変人気があります。しかし、ドイツのもともとその人形がつくわれた町ではもう、とうに忘れられていました。一人のベルリン大学の学生の論文がきっかけで、ベルリン大学所属森鷗外記念館のヴォンデ副館長が、2006年に当館でキューピー展覧会をやりました。なぜなら、森鷗外が子供の杏奴ちゃんと類君にキューピー人形をあげたからです。それは本人が奈良から子供たちに送った絵葉書で書いてありました。
そして、ヴォンデさんが、オールドルフ市役所に連絡して、
「キューピー人形の生産、1910年代に、非常に盛んだったんですね。日本にとても人気のあるキャラクターですよ。」
と指摘しました。
もちろん、町の人では、誰でもそのことを覚えていませんでした。年寄りに聞いたところ、
「そういえば、昔、人形を埋め立てに使っていたよね。」
と古い家の床下にはキューピーの原型が見つかりました。
今はお城の一角にある故郷博物館には当然、キューピーコーナーもあります。
そして、3月11日、東日本大震災の事を聞いて、町のガイドを務める男性が、「募金案内」、つまり、募金をしてくれる人を対象にだけ、町の歴史 を説明して歩く散歩を開催します。
「今回の日本での大災害を目にし、街では住民や観光者に町を案内する費用を日本への義援金としてドイツ赤十字 を通じて送ることにし、住民の皆様にも呼びかけています。キューピー人形が取り持つ縁で、日本のキューピーを愛する方々は、忘れ去られていた町の歴史を呼 び起こしてくれました。そのことへの感謝の気持ちをこめ、今度は私たちが日本の災害に遭われた皆様を助ける番です。 皆さんがんばってください。」
素敵な話でしょう?森鷗外が二泊したグリマもそうですけど、意外なところで日本との縁が生まれますね。
(私はキューピーを渡されて告白されたことがありますので、そこでもね、クララとキューピーとの不思議な縁があります。)
クララさんドイツ情報ダンケ
ドイツの皆さん義援金ダンケ
写真に写っている男の人はジャンバルジャンにみえる
投稿情報: コゼット | 2011/04/04 23:14