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2011/04/30

コメント

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クララさんこんばんは。いつも楽しく読ませていただいてます。
日本の「う」は「うるさい」。すごくおもしろかったです。

何気なく流れているアナウンス。確かにおせっかいすぎることありますよね。
キメ細やかなこのアナウンスは、日本人の親切の象徴ではないでしょうか。

3才の孫はこのアナウンスに敏感で、言い回しなどそのままそっくりまねしてました。
片言しかしゃべれなかったのに、アナウンスの通り敬語で話していたので笑っちゃいますね。

最後の文の自動販売機の音声に救われたとは、ちょっぴり寂しかったですね。
また楽しいお話聞かせてくださいね。

やたら親切すぎる対応等、日本独特の様々な事象を「日本人は依存心が強く、他人任せで周りに流されやすいから」という見方で批判するのは、私が高校生だった頃(25年前)に高校の英語教師もよくやっていました。
これは、文系学部の偉い先生方やその先生方の言ったことに影響を受けた学生などによくある見解ですが、少し考えれば、あまりにも短絡的で矛盾と飛躍を多々含んだ分析だと気がつくはずです。
「そこまでうるさく注意を呼びかけることによるメリットどデメリット」をよく考えて「そこまでする本当の理由は何なのか」を、偉い先生方や周りが言っていた考え方をただ真似するのではなく「本当にそういえるのか?」「他の考え方はできないか?」等と、自分の頭でじっくり考えてみてはいかがでしょうか。
そのとき、古典落語も、単に「使われている言葉がわかる」「ストーリーがわかる」「語られている情景を思い浮かべることができる」というレベルの先の、今まで見えていなかった「人と人との内面的な繋がりと駆け引き」「言葉の裏に隠されていたさりげない思いやり」等、もっと本質的なところまで見えてくると思います。
聡明なクララさんなら、それがでできるのではないかと思いますし、私などより、もっと深いところまで掴むことができそうです。
偉そうなことを言って失礼しました。
これからもクララさんのツイートやブログの更新を楽しみにしています。

クララさんこんにちは。
クララさんの書く文を見てると時々、日本を良く言ってくれてるのか、悪く紹介してくれてるのか分からなくなります。

信号機は説教してないです。
関西の一部では日本の童謡「通りゃんせ(とおりゃんせ)」が流れて道を渡るのを促してます。

確かに私も初めて東京に行った時は、なんてうるさいんや!なんて人が冷たいんや!って思いました。
でも、2回目からちょっと意識が変わってきました。
住んでいる人と話をしたりすると、自分の心に少し落ち着きが出たからです。


日本人が外国に行く時は、団体のツアー観光がほとんどで、騒がしくしてると思いますが、(日本人が外国に行って迷惑かけてないか心配)
外国の方は、日本に個人で来られる方が多いようで、
日本にゆっくり滞在して、普通の日常を味わうらしいです。

以前ユースホステルに泊まった時、スイスから来られた方と話したことがあるんですが、
お互い言葉が分からなくて、写真やイラストや片言英語や片言英文で話し、
気持ちを通じ合わせ共感し合えました。
お互いを分かり合うるためには、時に言葉は必要ないんじゃないかと私は考えてます。


私は言葉を音としてしか聴けないので、繰り返し流れる電車のベルや発車案内は、急がす意味や危険を伝えるための手段なんじゃないかと思います。
私個人は、のんびりやなので急かされないと動かないし。

うるさいけど、ないと困る音かなと私は思ってます。
しかし、私がいちばん落ち着く音は、お寺の鐘です。

はじめまして。ニュースからきました。
電車のアナウンスですが、目が見えない人も中にはいますので、そういう方たちのためのアナウンスと思われます。または、足が不自由で俊敏に動けないお年寄りには次の駅を知らせるアナウンスは必要ですよね。

>日本人の安全意識についてのコメント、twitterやコメント欄に頂きたいと思います。

歴史的に見れば「儒教的家父長主義」なんですよ、日本は。
つまり政府や組織の管理者は、国民・一般市民を細かく「教導」しなければならないという意識を持ってるんです。だからどこでもやかましく注意するんですね。「服装検査」なんてのが中学高校でもありますが、あれもこの一種ですな。ほりえもんの件でもありましたが、判決の際に裁判官が「反省」を求めたりするのも同じです。
過剰コンプライアンスの原因であるとも思いますが、
良いか悪いかはともかく、神話の時代から連綿と続いている文化です。

エスカレーターのアナウンスもうるさくてしかたありません。

現代の日本人は「自己責任」という考え方に否定的ですが、子供ならまだしも、大の大人が自分のすべきことやすべきでないことを判断できないというのは残念なことです。
小さな村の中で一生を終えるのであれば、村の常識に従順であることが美徳になるとは思いますが、我々はそういう生活を放棄して、個人の自由を確立するという選択をしたはずなのです。
「小さな親切、大きなお世話」という使い古された言葉は真理を言い当てていると思います。過保護が心地よいひとも多いのでしょうが、それは「自由」に価値を見出せない人達なのでしょう。

 素晴らしい内容のブログですね。日本もドイツも良く知っているだけに、読んでちょっとだけ反省しました。日本人にとっても東京は、無個性で不思議なところなんですよ。これからもあなたの観て、感じたままに表現してください。

クララさん!おもろかった!!
私はベルリンに住んでいる日本人です。

クララさんの気持ち良くわかりますよー。
ドイツではデパートに音楽なんてかかっていませんし、
乗り物の中で車掌さんのアナウンスが流れる時は「トラブルか、事件だっ!!!」って思うときです。

しかも東京等、大都市は年々うるさくなってきているような気がします。
秋の虫の鳴き声を,春のうぐいすの鳴き声。。。美しいと感じたくても聞こえない。

もう最低限の注意喚起の域を越えて、自己表現、会社のイメージアップ作戦となっていると思います。
エスカレートし続けていて、日本では街に出ると耳が疲れる。
本当に耳が疲れて凝ってしまうんです。

だけど、この前東京に行った時にバスを乗っていたら急に雨が降って来て
ちょっと不安な気持ちで窓の外を見ていたら
「車内には傘のご用意があります〜」
って。
これは結構うれしかったなー♪

クララさん、冒頭の日付が4/31になってますよ(笑)
あと最近、誤字が少し多いですね(気に障ったらすみません)
もちつきましょう

@Himantolophus groenlandicus
4月31日ですか?ああ、本当だ。さっそく訂正しました。
ドイツの児童文学で「5月35日」というとても有名な作品があります。(和訳がないみたい…)
誤字が多いですか。サンドラさんのインタビューにあまり出ないように頑張ります。

「静かな街を考える会」のホームページに貴ブログをリンクしました。

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