普通のツアー案内のほかに、すでに畳化シリーズと、日本人との出会いシリーズを書いているんですけれども、今日からは『日本のあいうえお』というシリーズも書くことに決めした。ひらがなのすべての文字に一つの「日本と言えば…」とあるものや概念について書きたいと思っています。「日本のあは挨拶のあ」、「日本のいは居眠りのい」に続いて、「日本のうはうるさい」です。
(2011年4月30日に少し直して、再びアップしました。「日本のえは英語のえ」、「日本のおは思いやりのお」もあります。)
両親がはじめて来日した時に、
「ああ、日本はなんて騒がしい国だ。」
という苦情を受けました。
「もう、クララちゃん、ここはうるさいから、喫茶店で休もう。」と二時間毎に言われました。
四年経って、二人が再度に来日すると、
「さすがに、日本はZENの国だね。とても静かで、人も落ち着いてて、時間の感覚はなんだかゆったりしているだね。だから、あれ・・・
古池や 蛙飛び込む 水の音
ってね。日本人は静けさをめでるんだよね。」
とかなり違うイメージを持っていました。
初来日の両親は板橋区か豊島区辺りのウィークリーマンションに泊まって、二度目の来日は日本橋から車で一時間ぐらい離れている小さな町のホテルに泊まっていました。板橋区も特に騒がしいと思わないけど、二度目の滞在中には観光が主な目的ではなく、当時住んでいたのどかな町で、人と接して話しました。田舎の友達に、両親は
「ゆったりでいいわね。」
というと、
「どこが?ここ?」
と笑われました。
なぜ、そういった違った印象を持っていたのでしょうか。
もちろん人と多く接した事は多く影響していると思います。初来日の時には、観光ばかりで、話していた日本人はホテル、駅、空港だけなのではないかと思います。それから、特に東京だけにいると、日本はうるさい国だと思います: 外に、「いしぃぃやきいも!いしいやきい~も!やきたてぇ~♪」 と売り物の声。
「右に曲がります」を警告する軽トラ。
商店街の店頭でスピーカーから「イパネマの娘」が聞こえ、レストラン、デパート、スーパーでは、BGMではなく、あらゆるジャンルの音楽は流れている。ゴミの収集車でさえ、楽しげにさえずっている。
「お忘れ物のないようご注意ください。」、「電車が参りますので白線の内側までお下がりください。」と注意する駅のアナウンス。
「悔い改めよ。天の国は近づいた!」と耶蘇教への改宗をがんがんとせき立てるスピーカー。
「よろしくお願い致します。」と空約束を知らせる政治家。
川柳師匠に負けないで軍歌を流す右翼の街宣車、名前も聞いた事ない歌手の歌を流す宣伝カー。
庭園でさえ、スピーカーから流されている小鳥のさえずり。
「押ボタンを押して下さい」、「しばらくお待ちください」、「信号が青になりました」と説教したがる信号。
それから、お知らせするわけではないけれども、薄い壁を通して、隣の家の人の会話、テレビ、喧嘩、げっぷ、おなら、交尾音までが聞こえます。
こんな環境の中には救急車やパトカーの音はもう目立たないんですね。そういった意味では日本はとてもうるさいです。
踏み切りの警報音は確かに必要ですが、「電車が参ります。」と二、三度知らせてから、また二三度到着した電車の目的地を知らた上に、出発ブザーが鳴った上に、「電車が発車いたします。ご注意下さい。」と何度か知らせる事は必要でしょうか。
まだ日本語がそれほど聞き取れなかった時期に、「なんて、何をアナウンスしているかな?お話?」日本人は繰り返しに対する忍耐や我慢は大変強いでしょうか。
日本語が少し聞き取れるようになって、
「駅に、人ごみに圧倒されるい中者、老人や子供がそんなにいないのに、なんでこんな細かく注意するんだろう?」
と思ったりしていました。もっとひどいのはビーチ!ビーチはもちろんちゃんと利用時間があります。大自然の中に、
「夏の紫外線はとっても強いです。日焼け止めクリームをこまめに塗りましょう!熱中症に注意!ゴミは各自で持ち帰りましょう。美しい海であるように、ご協力をお願いします。スタッフの指示に速やかにお従いください。食後の水泳はやめましょう。」
これは、英英語でいわゆるnanny stateなんでしょうか。つまり、何でも、ナニーのように、なんでもよしよしと面倒を見てくれる国家のことですね。そういう社会に慣れている人は、誰も責任を持てなくすんで、誰も発言しないようになりますと批判する人はいます。
少し考えたところ、アナウンスは個人を注意する類と、他人に迷惑をかけないようにと呼びかける類に識別できるのではないかと思います。
「携帯電話の電源は必ずお切り下さい。コンビニのレジ袋のカサカサ音は、意外と気になるものでございます。お隣との会話なども、意外と気になるものでございますので、ご遠慮下さい。」
と、先日夢空間の落語会で流されたアナウンスは、その後者である。注意する側の
「お静かにしてください!」
「うるさい!」
というのは、不和を乱す行為であって、逆にウルサイですよね。気になる事は、アナウンスが注意してくれていますので、自分から「うるさい!」と隣のおばさんを注意しなくて済むでしょう。
(ただ、「居眠りされるお客様はいびきをかかないように心得て下さい。」というアナウンスもほしいですね。一番注意しづらいですよ。)
日本人は他人を注意するのが苦手のようですから、アナウンスが多いという解釈もあるでしょう。確かに、高いお金を払って、セミナーに参加する際、「質問ありますか。」と聞かれても、質問する日本人は少ないです。アナウンスが流れることによって、人間関係が緩和されるという利点もあるのではないかと思って、それはとてもいいことです。
日本の大学で留学した時は、講義やゼミの多くは10時からはじまったため、ほとんどの移動は自転車やバスで済ませました。はじめて満員電車に遭ったのは、日本語学習7年目ぐらいでした。7年前の若き自分。はじめて北千住から日比谷線に乗って、広尾にあるドイツ大使館に向かいました。
当時の大使館は朝一行かないと、何時間も待たされる恐れがありましたので、午前7時半~八時あたり北千住駅に着きました。
「ふ~む。し・は・つ。つまり、電車は北千住の駅を出る時にはじめて人が乗るんだ。へえぇ。なんで、皆、三人行列、三つ並行並んでいるでしょう?まあ、いいや、ここに来る電車に乗ろう。」
と思い込んでしまった。
「どうせー座れなさそうで、壁にもたれることができるドア辺りで立ちましょう。」
と思って、電車に乗ってから、動かなかった。
当然、人に流されて、ドアとドアの間、つり革もないところまで流されました。ラーメン屋さんの箸立てに入っている箸のようにぎゅうぎゅうと詰められました。満員電車に慣れない体がそれを簡単に受け流せませんでした。
「おおい!痛いよ!」
と声を出して、
「もう人が入れないのよ。」
とまでコメントしていました。
今思うと、とてもとても恥ずかしい話ですけど・・・ 私は当時はまだ畳化はしていなかったんですね。分かりますでしょう(笑)
しかし、皆が皆で、その場で、自分の思いを通していれば、大変な喧嘩になります。ベルリンでは山手線のような状態では絶対になれない気がします。他人を無視するような態度をとらないと、出来ないですよね。
それから、人口密度の高い首都圏では、「入口の付近には立ち止まらず、車両中程までお進み下さい。」というアナウンスがあるからこそ、皆でやっていけます。
ただ、前者、個人が注意される類のアナウンスは過保護だと思います。3-5年前のフジロックに言った話です。少し泥のある小さいヤマを登ろうとしていたところで、フジロックのお兄さんに注意されました。
「危ないですから、おやめ下さい。」
と、丁寧に注意されました。
「登山靴なので、こんな泥でも大丈夫ですよ。こけません。」
「危ないですから、おやめ下さい。」
と再度に注意されました。
「ここの段差は階段二段ほどですよ。それぐらいは自分で登れます。大丈夫ですよ、自分の事は自分でよく解っていますから。」
と説明しようとしても、登らせてもらえませんでした。
「幼稚園じゃないんだよ!もう!全く!」
とぶつぶついいながら、40メートルの迂回しました。来日歴10年でも、傘は持った?、ここは登るな、ということを注意する事は子供扱いと言う気がします。そこで、3・11後に色々友達と同僚と話しましたのは、日本人の安全意識です。災害の危険性はよく把握して、行動しているけれども、物が起こってからの行動なのではないでしょうか。是非とも、日本人の安全意識についてのコメント、twitterやコメント欄に頂きたいと思います。
しかし、アナウンスの良い面もあります。14年前にはじめて日本に来た時に、日本語は
「これは桜ですか。梅ですか。」
「駅はどこですか。」
程度しか話せなかったです。当然、
「駅はですね… この商店街をずっとまっすぐ行くんですね。左側に小さい八百屋があってね、注意しても見逃すほど小さいですよ。その過度で曲がって、右に行きます。国道に突き当たると、ずっと左に行きます。左にエネオスがあるところに右に曲がる。ただ、その前にはJOMOのガソリンスタンドもあるけど、間違わないで下さいね。エネオスで曲がるのよ。それから、また300mぐらいまっすぐ歩いて、もう、電車の路線が見えるはずですよ。」
なんて説明はわかるわけないですよね。
その日本語レベルの私は、新宿でドイツのクレジットカードでお金がおろせるATMを探していました。しかし、ATMなんて日本語は知らないで、Geldautomat, Bankautomatを独和辞書で調べたら、「現金自動支払機」が書いてあります。今思うと、実用性に欠けていますね、この辞書!そんな言葉、誰が使うんですか。それに、そんな漢字はとても読めそうにありませんでしたので、英語で
Excuse me, could you please tell me where the closest cash dispenser for VISA cards would be?
と丁寧な英語で聞きました。知らない人に対して丁寧に話すべきという教育を受けましたからね…
そうすると、こんな複雑な英語は、新宿の日本人に「ノーイングリッシュ」と怖がられて、逃げられました。一時間してもATMが見つからない。制服のおじさんは警察官だと思って、ATMの事を聞いても知りませんと。
「親切な日本人は何だ!ひどいよ、この国!」
と涙が出そうなところ、とにかく飲み物を買おうと思って、手当たりの自動販売機で水のペットボトルを買いました。110円を入れて、ペットボトルが出ると同時に、「ありがとうございました。」と自動販売機の案内が流されました。
日本はアナウンスがあってよかった。
日本人は相手にしてくれなくても、とにかく機械は話してくれました。
クララさんこんばんは。いつも楽しく読ませていただいてます。
日本の「う」は「うるさい」。すごくおもしろかったです。
何気なく流れているアナウンス。確かにおせっかいすぎることありますよね。
キメ細やかなこのアナウンスは、日本人の親切の象徴ではないでしょうか。
3才の孫はこのアナウンスに敏感で、言い回しなどそのままそっくりまねしてました。
片言しかしゃべれなかったのに、アナウンスの通り敬語で話していたので笑っちゃいますね。
最後の文の自動販売機の音声に救われたとは、ちょっぴり寂しかったですね。
また楽しいお話聞かせてくださいね。
投稿情報: クララファンのおばさん | 2011/02/26 22:49
やたら親切すぎる対応等、日本独特の様々な事象を「日本人は依存心が強く、他人任せで周りに流されやすいから」という見方で批判するのは、私が高校生だった頃(25年前)に高校の英語教師もよくやっていました。
これは、文系学部の偉い先生方やその先生方の言ったことに影響を受けた学生などによくある見解ですが、少し考えれば、あまりにも短絡的で矛盾と飛躍を多々含んだ分析だと気がつくはずです。
「そこまでうるさく注意を呼びかけることによるメリットどデメリット」をよく考えて「そこまでする本当の理由は何なのか」を、偉い先生方や周りが言っていた考え方をただ真似するのではなく「本当にそういえるのか?」「他の考え方はできないか?」等と、自分の頭でじっくり考えてみてはいかがでしょうか。
そのとき、古典落語も、単に「使われている言葉がわかる」「ストーリーがわかる」「語られている情景を思い浮かべることができる」というレベルの先の、今まで見えていなかった「人と人との内面的な繋がりと駆け引き」「言葉の裏に隠されていたさりげない思いやり」等、もっと本質的なところまで見えてくると思います。
聡明なクララさんなら、それがでできるのではないかと思いますし、私などより、もっと深いところまで掴むことができそうです。
偉そうなことを言って失礼しました。
これからもクララさんのツイートやブログの更新を楽しみにしています。
投稿情報: テルミン | 2011/02/27 18:19
クララさんこんにちは。
クララさんの書く文を見てると時々、日本を良く言ってくれてるのか、悪く紹介してくれてるのか分からなくなります。
信号機は説教してないです。
関西の一部では日本の童謡「通りゃんせ(とおりゃんせ)」が流れて道を渡るのを促してます。
確かに私も初めて東京に行った時は、なんてうるさいんや!なんて人が冷たいんや!って思いました。
でも、2回目からちょっと意識が変わってきました。
住んでいる人と話をしたりすると、自分の心に少し落ち着きが出たからです。
日本人が外国に行く時は、団体のツアー観光がほとんどで、騒がしくしてると思いますが、(日本人が外国に行って迷惑かけてないか心配)
外国の方は、日本に個人で来られる方が多いようで、
日本にゆっくり滞在して、普通の日常を味わうらしいです。
以前ユースホステルに泊まった時、スイスから来られた方と話したことがあるんですが、
お互い言葉が分からなくて、写真やイラストや片言英語や片言英文で話し、
気持ちを通じ合わせ共感し合えました。
お互いを分かり合うるためには、時に言葉は必要ないんじゃないかと私は考えてます。
私は言葉を音としてしか聴けないので、繰り返し流れる電車のベルや発車案内は、急がす意味や危険を伝えるための手段なんじゃないかと思います。
私個人は、のんびりやなので急かされないと動かないし。
うるさいけど、ないと困る音かなと私は思ってます。
しかし、私がいちばん落ち着く音は、お寺の鐘です。
投稿情報: なにわっ子 | 2011/04/10 11:38
はじめまして。ニュースからきました。
電車のアナウンスですが、目が見えない人も中にはいますので、そういう方たちのためのアナウンスと思われます。または、足が不自由で俊敏に動けないお年寄りには次の駅を知らせるアナウンスは必要ですよね。
投稿情報: tom | 2011/04/30 12:46
>日本人の安全意識についてのコメント、twitterやコメント欄に頂きたいと思います。
歴史的に見れば「儒教的家父長主義」なんですよ、日本は。
つまり政府や組織の管理者は、国民・一般市民を細かく「教導」しなければならないという意識を持ってるんです。だからどこでもやかましく注意するんですね。「服装検査」なんてのが中学高校でもありますが、あれもこの一種ですな。ほりえもんの件でもありましたが、判決の際に裁判官が「反省」を求めたりするのも同じです。
過剰コンプライアンスの原因であるとも思いますが、
良いか悪いかはともかく、神話の時代から連綿と続いている文化です。
投稿情報: きこ | 2011/04/30 14:07
エスカレーターのアナウンスもうるさくてしかたありません。
現代の日本人は「自己責任」という考え方に否定的ですが、子供ならまだしも、大の大人が自分のすべきことやすべきでないことを判断できないというのは残念なことです。
小さな村の中で一生を終えるのであれば、村の常識に従順であることが美徳になるとは思いますが、我々はそういう生活を放棄して、個人の自由を確立するという選択をしたはずなのです。
「小さな親切、大きなお世話」という使い古された言葉は真理を言い当てていると思います。過保護が心地よいひとも多いのでしょうが、それは「自由」に価値を見出せない人達なのでしょう。
投稿情報: hiromine | 2011/04/30 18:28
素晴らしい内容のブログですね。日本もドイツも良く知っているだけに、読んでちょっとだけ反省しました。日本人にとっても東京は、無個性で不思議なところなんですよ。これからもあなたの観て、感じたままに表現してください。
投稿情報: Asariya38 | 2011/05/01 05:36
クララさん!おもろかった!!
私はベルリンに住んでいる日本人です。
クララさんの気持ち良くわかりますよー。
ドイツではデパートに音楽なんてかかっていませんし、
乗り物の中で車掌さんのアナウンスが流れる時は「トラブルか、事件だっ!!!」って思うときです。
しかも東京等、大都市は年々うるさくなってきているような気がします。
秋の虫の鳴き声を,春のうぐいすの鳴き声。。。美しいと感じたくても聞こえない。
もう最低限の注意喚起の域を越えて、自己表現、会社のイメージアップ作戦となっていると思います。
エスカレートし続けていて、日本では街に出ると耳が疲れる。
本当に耳が疲れて凝ってしまうんです。
だけど、この前東京に行った時にバスを乗っていたら急に雨が降って来て
ちょっと不安な気持ちで窓の外を見ていたら
「車内には傘のご用意があります〜」
って。
これは結構うれしかったなー♪
投稿情報: ミミ | 2011/05/01 18:47
クララさん、冒頭の日付が4/31になってますよ(笑)
あと最近、誤字が少し多いですね(気に障ったらすみません)
もちつきましょう
投稿情報: Himantolophus groenlandicus | 2011/05/03 10:00
@Himantolophus groenlandicus
4月31日ですか?ああ、本当だ。さっそく訂正しました。
ドイツの児童文学で「5月35日」というとても有名な作品があります。(和訳がないみたい…)
誤字が多いですか。サンドラさんのインタビューにあまり出ないように頑張ります。
投稿情報: Clara | 2011/05/03 10:25
「静かな街を考える会」のホームページに貴ブログをリンクしました。
投稿情報: フクダ | 2015/02/28 09:26