このエントリーは「自ら助くるもの」シリーズの第六弾です。その他のエントリーは:
第壱弾: 今の日本語よく解らなかった
第弐弾: 検討しましょう
第参弾: デートの誘いに便利!
第四弾: 日本側は情報を持っているのに、出してない
第伍弾: 大人の決断
クララ
ハトさんは自分で決めないといけないということを言っているけど、研究滞在をはやく終わらせて、素敵なだんなさんとかわいいお嬢様を先に送って、ここで片付けて帰国するんだね。どのようにそれを決めたの?
ハト
私も母国で専門家に相談した時に、
「おすすめできない。もし行くんだったら、放射能を浴びるか浴びないか、雨の中のような人生になる。降られるか降られないか。だから、おすすめしない。」
と言われた。
私にはそれがはっきりした答えだった。
でも、放射能は自分にどのような影響を及ぼすか、という質問に対しては結局答えがないよね。
人がそれぞれ少し違うので、ある人は少しだけ浴びたら危ないかもしれないけれど、、他の人は高い放射能を浴びても問題ないかもしれない。、だから、「貴方たちの健康に影響が出るか出ないかはいえない」とその専門家は言っていた。。
ただ、同時に言われたのは、
「貴女は一人の母親として、子供のことを考えているでしょう。私は、リスクを否定できないので、子供をもう一度日本に連れて行くことをおすすめできないし、貴方にも滞在をおすすめできない。子供はこれから貴女を長く必要とする。その責任を考えれば、やっぱりおすすめはしない。自分の娘とか、息子が行こうとすれば、とめることはできないんだけれども、おすすめしないとはっきり伝えておく。」
私にとって、その
「おすすめしない」
という言葉ははっきりしたメッセージだった。
クララ
まあ、これは母国の方に言われたけれども、その婉曲表現の裏を読み取るのは、ある程度文化の背景で身に付くものですね。日本語が母国語ではない私も時々困っている。ハトさんもそうだよね?
ハト
どこまでは婉曲なのか、どこからはっきりした言い方なのか、区別するのも、時々難しいような気がする。例えば、先の例を挙げると、
「検討します。」
「考えておきます」
は、日本人同士でもわかる時とわからない時があるらしい。
同じ文化の環境で育った人は
「こういう場面でこういう言葉であれば、こういう解釈ができる」という共通の意識がある。
「検討します」のように、解釈が二つある言葉の場合は、言葉の話し方、イントネーション、全体的な雰囲気から、断られたか、本当に検討してもらえるか、読み取ることができるらしい。
日本人も「読み取るしかない」
と言っている。外国人にとってははっきり分からない言葉が、日本人にとってははっきりしている場合が多いかもしれない。
例えば、断るときに、「ちょっと・・・、色々忙しくて・・・」、
または、「用事が入っているので・・・」
のような表現が使われているよね。。
それが「断り」だと知ってたら、婉曲だと思ったり、違和感があったりしない。
でもそのような断り方を知らない外国人からみれば、違和感がある。「何で忙しいの?どんな用事があるの?」と聞きたくなる。
誰の視点からみれば曖昧と判断するかということも考えないといけないと思う。
文章の内容に関しては、正しい決断だと思いました。しかし、これはほとんどないと断言します。→「検討します。」「考えておきます」は、日本人同士でもわからない時があるらしい。『言葉の話し方、イントネーション、全体的な雰囲気』を理由に挙げていますが、わたしは言葉を発した相手と、言葉を受け取った側の関係の親密さで決まるのだと考えています。要するに、「誰が言ったのか」で判断をします。いくら曖昧模糊な婉曲表現を好む日本人でも、親しいし人やこれから親しくなりたい人には、誤解を招くような表現はしません。「行動をともにしたい相手」とか「好きな相手」に迷惑をかけたり、嫌われたりするのは嫌ですから。
「婉曲表現で良く断られるなぁ」と感じるときは、要件について断られたのではなく、親密な関係の構築を拒絶されたのだと悟るべきです。「何で忙しいの?どんな用事があるの?」と親しい友人に尋ねれば、理由を話してくれるでしょう。もし、理由を言ってくれなければ友人関係は危うくなりますよね。ケンカも避けられないけれど、なるべく婉曲表現を「しない」「されない」関係が望ましいと、わたしは思います。
投稿情報: asariya38 | 2011/09/05 01:08