このブログを書きだしたときは、外国人観光客の普通の東京案内だけだった。それから、自分が「日本人の知らない日本語」に登場したことがきっかけで、畳化シリーズと、日本人との出会いシリーズを書きました。
それから、今は、『日本のあいうえお』というシリーズも書くことに決めました。ひらがなのすべての文字に一つの「日本と言えば…」とある独特・特有な物や概念について書いています。今までは「挨拶」、「居眠り」、「うるさい」、「英語」、「思いやり」、「かわいい」、「擬態語」と書きました。今日のテーマは「日本の「く」は「空気を読む」の「く」」となりました。
「空気を読む」という表現はかなり好きです。私は空気に浮かんでいる字を探して、それをみつけて、行動することと想像します。
特に説明しなくていいと思いますけど、「空気を読む」とは「相手を気遣う」と言い換えます。そのために、まず相手を理解し、相手を知る事が必要です。
空気を読むというのは、日本独特の事という人はいますけど、気遣うのは人間同士どこでもします。
※ 友達と話して、返事をしなくなり、「ああ、この人にしては不愉快な話」だと気付いて、話題を変える事
※ 左右に開いている席があって、友達二人が電車に乗るときに、二人並んで座れるように自分の席を移る事
※ 日本人男児苦手の妊婦に席を譲る、会談で困っているベビカーのママに手伝うのも個人的に空気を読むのに入っていると思います
というごく簡単なこと・・・
そいう例は、どこの文化でも同じで、気遣う人と、まったく気遣わない人は両方いると思います。
異なる文化圏で育った人は日本にきて、まず日本人・日本文化を知って、理解する事は必要です。逆に、海外に住んでいる日本人、海外でビジネスをしている日本人も現地の空気を読まないといけなく、つまり、現地の習慣文化を理解しないといけません。
もちろん、コミュニケーションスタイルは「異文化理解」の大きな一部となっていますけど、ドイツと日本のコミュニケーションスタイルは極端に違うと思います。
(ドイツ人の)友達は二年程、(日本の)田舎の役場で働いていました。ドイツの姉妹都市とのやり取りを色々翻訳・通訳しました。しかし、それだけではなく、新聞のインタビュー、料理教室等々と色々やっていました。
Aちゃんは大学で日本語の勉強はして、話せてもあまり自信を持っていない上、極限にシャイです。
日本だけではなく、ドイツでも
「皆、わたしのことをどう思っているのか?」
と常に自意識している人です。
ある日に、相談したいことがあるといって、表参道の喫茶店で会いました。
「役場でね、誰も話してくれないよ。
耐えられない時はトイレに引きこもって、思う存分に泣くよ。
本当に誰も話してくれない、仕事も説明してくれない。
私、嫌われているの?
クララちゃん、この間の祭りで、私の上司に会ったことあるよね?どう思う?」
と相談を聞くと、彼女は多分、嫌われているのではなく、ただ、日本のコミュニケーションになれなかったと思います。
ドイツ語圏の会話では卓球のように、誰、何、どこ、どうしてが飛んでいたり、全ての答えがわかった途端に、 「よっし!解った!」と終わりになります。
しかし、日本語圏の会話、特にオフィスでの会話はそうでもありませんよね。
「おおい、田中。あのさぁ、今度の部長の・・・」
「ああ、あれですね。」
「うん、決まった?」
「予約は入れたけど、あそこはね、時間が・・・」
「そうだったよね・・・ あれは?」
「部長の・・・?」
「そうそう」
「あれももちろん聞きました。」
「で?」
「あそこは、総務部が仮予約を入れたんだって・・・ まだ100%決まってはなく・・・」
「よっし、決まり次第教えてくれ!」
という会話はドイツ語圏で行われるのであれば
「田中!部長の送別会はどうなっている?」
「お洒落館で予約はできましたが、あそこは、2時間の飲み放題コースだけだですよね。」
「ああそうっか。それはあまりよくないだね。ゆっくりしたいもの」
「部長のお気に入りの風流亭はすでに別のお客様の予約が入っていましたけど、聞いたら、偶然にもうちの総務部でした。
総務部は店仮予約だけですし、100%決まってはいませんので、まだチャンスはあります。とりあえず、その連絡を待っています。」
「よっし、決まり次第教えてくれ!」
とみっちり情報が入っています。
日本語圏の会話ではウチに入っている人だけが文脈が分かりますけれども、ドイツ語圏はどんな人が会話に参加していも、全ての情報を求めていますので、それはたまたま聞いていた部外者にも分かります。
オフィスのスタイルでもそのコミュニケーションスタイルが反映しているのではないですかね。日本のオフィスはオープン式で、情報が常時に共用されています。ドイツはうさぎ小屋で、少なく一人、普通二人、多く三人で一部屋をシェアします。上司は隣の部屋まで報告しにいかないといけません。コミュニケーションははっきりじゃないと無駄です。
幼稚園からの付き合いがある小さな町の役場の仲間にすぐ入れてはもらえないことは当然です。それはどんな国でも難しいと思います。外から来た人だからといって、嫌われることはないと思います。
私も、お祭りでその上司と同僚にお会いした事があって、彼女は嫌われてはいないと思います。
彼女には、それから、「空気を読む力」も足りなかったと思います。いや、より適切な言い方は、日本の空気を読むコツはまだ身に付けなかったでしょうね。
彼女は情報は直接与えられる文化に慣れて、直接に与えられていないことは自分が嫌われていると思っていました。
それを彼女は自分で解決しようとしていたところ、一人で女子トイレで泣いていたと言っていました。
一を聞いて十を知るとは、彼女の立場で無理だったと思いますけれども、ここで彼女にすすめたのは、
※ 真剣に翻訳等の仕事をするのではなく、わからない単語は同僚に聞く
その目的は、会話が増やすことと、努力が認められることです。
自然に、色々なテーマが飛んでくるでしょう。それから日本語も上達するでしょう。
※ お昼はもくもくと食べるのではなく、同僚となんでもいいから話す。積極的に部署の人とどんなおじさんであっても話すこと。
ここも仕事のオフタイムでのおしゃべりは仲間に入れることに成功したら、彼女も自信がつくでしょう
彼女は一人で仕事に集中しているやり方が日本人同僚とのやり方とかなり違ったことも言えるでしょう。
彼らは話しながら、仕事をしていました。一見おしゃべりにしか聞こえない事は実は重要な情報伝達なのだと、Aちゃんも気付きました。
朝礼でもちろん
「今日はこうこうなりますよ。」
と説明されることもありますけど、
「再来週の料理教室の担当」
という決定はドイツは会議やミーティングでさっさと決めますけど、彼女の部署では特に会議を設けないで、席に座って話しながら、決められたと思います。
彼女は「日本的の空気の読み方」に慣れるまではかなり時間がかかりましたけど、一旦落ち着いたら、仲良く仕事する事が出来ました。もう、トイレでしくしく泣くことはありませんでした♪
もちろん、コミュニケーションは空気の読み方だけではありません。おそらく、Aちゃんの同僚も、「この子は会話についていけなくて、今料理教室の担当が決まったというのは分からなかったね。」という事にも気付いていなかったでしょうね。
先ほど言った通り、「空気を読む」とは日本だけのことではありません。
もちろん、気を使うのはどこの文化にはある概念で、多かれ少なかれ重視されています。
西洋人よりも日本人は空気を気にしていることは確かだと思いますけど、西洋にも西洋なりの違う空気があって、そのまた読み方も西洋生まれ育ちの人は身についています。
しかし、日本生まれ育ちの日本人になかなか読めないかもしれません。
一度は、日本の偉い方の通訳者として、ドイツに渡りました。偉いゲストが来ますということで、向こうは高級レストランへ招待されました。
前菜が終わったあと、楽しく話していたところ、私は少し失礼をして化粧室へ行きました・・・
戻ってきたら、雰囲気がなんだか変で、ドイツ側はぞわぞわしていました。
よくみると、その日本の偉い方は高級レストランでアグラを掻いていました。高級レストランでそういう事はしないことはおそらくご存じだったと思いますが、緊張して、無意識に自分が楽な座り方を選びました。しかし、ぞわぞわしている雰囲気まではわからなかったですね。
「どうですか、ここの雰囲気?くつろげる日本の居酒屋と違いますね。」
というと、相手が「うん」と頷いて、姿勢を高級料理店に相応しい姿勢に戻しました。
ぞわぞわドイツの空気には気付いていなくても、
「くつろげる日本の居酒屋」
というキーワードで空気が読めました。
それから、空気を読みすぎるのも危ない縄渡りですよ。
一度、アメリカ人夫婦と日本人夫婦の通訳をしたことがあります。
アメリカからいらっした奥様は、観光しながら、子供に会うと、子供を寂しそうな目で見て、何かあったのかなと思って、うらの話を聞いていたら、流産したばかりだとわかりました。きっと日本への旅で気を散らそうとしたんですね。
子供の話題にならないようにと祈ったところ、日本人の旦那さん(元気な三児の父)は、
「お子様はいらっしゃいますか。」
と聞いてしまいました。
その寂しそうな目に気をつかないで、聞いたんでしょうね。外国人三人と散歩しているのに緊張したのかどうか解りませんが・・・ 「やばい!どうしよう!」と勝手に、
「ご両親は健在ですか。」
と訳しました。それもご両親四人一人一人のお土産を選んだところを通訳したことは助かりました。
「へえ、四人とも健在ですよ。」
という答えを勝手に、
「子供はいませんが、親は四人とも健在です。」
と訳しました。
通訳者の誓約に明らかに違反はしていますけれども、奥様に寂しい思いをしたくなかったです。
「空気を読む」よりは「コミュニケーション」についてのエントリーになりましたが、なにしろ、これからは、お互いの空気を読みあう時代ですから、日本人もどんどん井の中を出て、外の空気を吸って、読んでもらわないといけません。
『日本語圏の会話ではウチに入っている人だけが文脈が分かりますけれども、ドイツ語圏はどんな人が会話に参加していも、全ての情報を求めていますので、それはたまたま聞いていた部外者にも分かります。』
そうか、そう言う意味だったのか、やっと分かったよ。日本みたいな国は「内気」で、ドイツみたいな国は「外向」。だからドイツやアメリカみたいな国では、知らない人でも挨拶をする。日本ではしない。
投稿情報: asdf | 2011/11/11 15:16
「空気を読む」は「臨機応変に対処する」と言い換える事もできると思いますが、情報を詰め込み過ぎて失敗した経験が多い私は、ドイツへ行けば「空気を読む人」になれるのでしょうか?
いや、余計なお世話で予備説明から始めてしまう私はドイツでも「失敗」しそうな気がししてきました。
投稿情報: molinobannin | 2011/11/11 21:58