何人かの友達に、自分と原子力、再生可能エネルギーの事を書いてもらうように頼みました。それらの文章を日本語に訳して、ここで発表します。緑色の文章は私の注釈です
U、男性、36歳、ビーレフェルト生まれ育ち。(ビーレフェルト市は下の地図の赤い矢印がさすところにあります。)大学と就職はハノーバー、シュトュットガルトとミュンヘン、他。三年前から妻と二児とデットモルドに住んでいる。
母は定年する前に税務署に勤めて、今は熱心な市議会議員。父は定年まで交通、電気、ガス、水道の交通事業を担当する市立施設局に勤めて、昔から熱心に防災ボランティアです。(ドイツの消防団等は主にボランティアで出来ています。2074市町村の102ヶ所だけは消防局があります)
原子力科学(原子力発電ではなく)は僕が現代の重要な科学の一つ だと思っています。それは例えば医療分野で、大変人類のためになっています。原子力科学のいわば「廃棄物」である原子力をエネルギーを作る目的での使用は個人的に間違って、人間の命をさらすアプローチと思っています。
そう思っているのは、日本での事故が起こってから思うようになったのではありません。少し前から我が家の電力の半分は現地の再生可能エネルギー(地元の風力発電所やバイオマス発電所)で生産され、もう半分は コージェネレーションで作られています。(地元の小学校のコージェネレーションシステムは例えば学校の熱と、地区の電力を提供しています。今の電力はそういうプランです。その他のプランも選べましたけど、原子力発電の電力割合はだいたい12%だから、それにしませんでした。この我が家のプランではそれで1ユーロセント/kWhだけが追加請求されています。(1ユーロセントは1.02円です)電力もすぐそこで作られていますしね。その結果、地元で職が生まれて、分散型エネルギー供給も成り立っています。
チェルノブイリが起こった時には、僕は10歳で、事故が起こったことは意識はしていましたけど、その原因、影響、結果は推定も理解も出来ませんでした。チェルノブイリについては当時、放射能雲がヨーロッパ大陸を横断している間に外に遊んではいけなく、しばらくはあれこれ食べてはいけないこと以外は家族であまり話しませんでした。事故が起こってしばらく小学校の授業で色々話したのは覚えていますけど、具体的に何について話したのか、それは覚えていません。
父は市立施設局の定年を迎える直前に40年も勤めたから表彰されました。父は現役でも、定年退職した今でも市立施設局 に恩義を感じています。 市営局の電力の一部は40kmから離れているニーダーザクセン州のグローンデ原発から提供されています。父は何回か出張でその原発に行って、原子力発電はクリーンエナジーといつも弁護していました。ビーレフェルトの市立施設局は少し前まで自ら石炭火力発電所を運営していたため、父はその発電方法もいつも弁護していました。石炭は全てルール地帯で発掘されており、ルール地帯の人々の生活を保証していましたこともあったでしょう。
母の、原子力発電についての発言は覚えていません。昔は興味なかったでしょうね。市が市立施設局の共同経営の一つですから、これからの市立施設局の(原子力に対する)方針も決めないといけなく、今は母が市議会議員の身であって、もちろん意見ははっきり言っていますね。幸いについこの間に、市営局が中間・長官的にグローネ原発をやめて、2025年(だったっけ?) まで、ビーレフェルト市のエネルギーの大部分は再生可能エネルギーで賄っていると決められました。
僕は今まで、原発反対デモに参加したことありません。行くのはもちろんアリだけど、この地方ではあまりありません。原発反対デモに参加するために、わざわざ自動車に乗って200km走るのは環境の事も考えてあまり意味がないと思います。それよりは、近所、職場、家族での会話とディスカッションで人を納得させようとします。つまり、脱原発は今、すぐ、全世界でと。それから選挙では僕と同意見の政党にだけ投票します。
ドイツのエネルギー転換、つまり電力を100%再生エネルギーで賄えることはドイツだけの巨大な課題だけではなく、世界の課題だと思っています。現実は違うと解っています。中国ではこれからの20年間で複数の原発が建てられるでしょう。しかも、その技術は20年前のものです・・・ それにもかかわらず、ドイツのエネルギー転換は成功し、世界の刺激になると信じています。
今勤めている会社は実は原子力発電所にかかわっている会社に部品を提供していて、社内で原子力発電所に使われる電子部品の新規開発も行っています。自分は直接かかわってはいないけれども、その開発は最近気になっています。なぜなら、自分は原子力の発電は反対しているのに、間接的には自分の生活が原子力でまかなっていますよね。そのために、転職するとは、ここ数カ月前から考えています。
それから、タイトルのビールですけど、Uさんの一番好きなビールは地元のDetmolderです。ミュンヘンのAugustinerも悪くないけれども、やはり地産地消ということで、地元はやはり地元でしか飲みません。
ここに登場するご友人は、両親とも比較的市町の中枢におられ、日本ならば大方「原子力バンザイ! みなさんたちもバンザイしなさいよ」と、先導する立場になってしまう境遇に育ったのですね。
彼がどーしてそうならなかったのか、残念ながらこの文章からは読み取ることができません。旧ソ連のチェルノブイリ原発事故かきっかけなのか、その後の原子力科学を学んだ結果なのか。(ココ、この文章の肝だと思いましたよ)
11年前、わたしは自費で10人の大学生を、ハノーファーがメイン会場だったドイツ万博に勉強に送り出しました。
そのうちの一人がフライブルグで、ドイツ人の環境意識調査をしました。その当時は、日本人とくべて大差なく、むしろ「日本人の方が意欲はある」とでました。結論として、個人の意識の高さよりも、より良い方向(これを形成するが大変だと思うのですが(^_^;))に導く社会経済的仕組み作りが必要であると、その学生は導き出しました。
干支がぐるっと回って12年。日本はドイツに益々離されてしまいました。()内に書いた課題を解決する為に、また国際映像作りに取り組みます。クララさんのブログを「さようごもっともで」と、読んでおしまいにできない、稀有な性分で「ドイツから受けた150年分の恩義を3倍返してやるぜ!」と、七転八倒しています。
こんなアホなわたしを優しく見守ってやってくださいませませ(≡ ̄♀ ̄≡)
投稿情報: asariya38 | 2011/12/29 12:17